美波

観の輪郭
“Contours of Perception”
The Self and the Other

September 12 – 24, 2025

上村江里 | Eri Uemura
レア・エンベリ | Lea Embeli
倉敷安耶 | Aya Kurashiki
龍羽均 | Long YuJun

キュレーター:
龍羽均 Long Yujun

MEDEL GALLERY SHUでは、9月12日より24日まで、上村江里、Lea Embeli、倉敷安耶、龍羽均の4人のアーティストによるグループ展「観の輪郭–The Self and the Other」を開催いたします。

今回の展示テーマは、ジェンダーへの固定概念を再認識するように見えて、視覚芸術への我々の反応自体にチャレンジしているような側面があります。

「観る」ということを起点とし、

「親密さの多様」

「AI技術」

「東洋と西洋絵画内における女性像」

「女性の髪」

などといったそれぞれの経験から、アーティストが感じ取った上で生じる視点により創られる作品たちは女性への固定概念に対して、私たち鑑賞者を立ち止まらせ考える時間を与えます。

女性の眼差しから創られる女性像は男性視点からが多かったこれまでの歴史に鋭い切り込みを入れ、さらに深く、ジェンダーに捉われずその人自身を「観る」事を促していきます。

ご自身のジェンダーを属性ではなく羅針盤として捉え、ゆらめく時間をお楽しみください。

 

 

「観る」という行為は、ただ目に映すことではない。それは、世界と私のあいだに橋を架け、境界を撫で、時にその輪郭を溶かしてしまう深い営みである。

私たちは、自分を観る。他者を観る。制度や歴史を観る。そして、それらは必ず私たちがもつ記憶や信念、身体の感覚というフィルターを通して形づくられる。

本展は、その源泉である「観」に立ち返る試みである。ここでの「観」とは、言葉に先行する経験であり、既存の権力構造や価値判断を超えて生じる感覚の動きだ。そこから視座が芽吹き、やがて思想や関係性の輪郭が結晶していく。

四人の作家は、それぞれ異なる「観」から出発する。

龍羽均は、モデルとの間に交わされる眼差しや呼吸の往復を通して、「観る/観られる」の関係を揺らし、親密さの多様な形を描き出す。

Lea Embeliは、AI技術と美術史上の女性像を交差させ、規範や偏見を浮かび上がらせながら、表象そのものを更新する。

倉敷安耶は、孤立した身体と他者の距離を主題に、儀式性やケアの行為を通して断絶を超える関係の形を探る。

上村江里は、言葉や感情、本能的衝動の根源に立ち返り、自己との対話を外部との関係構築の礎として提示する。

ここで描かれるのは、女性アーティストによる、女性の姿である。長い美術史の中で、女性像の多くは男性の視線によって描かれてきた。その結果、女性は見る者ではなく見られる者として位置づけられ、語る声を奪われてきた。ここでのジェンダーは、固定的な属性ではなく、視点を変容させる呼吸であり、境界を往復し、曖昧さや重なりの中から真実を探るための羅針盤である。

「観の輪郭」とは、他者の中に自分を見出し、自分の中に他者の影を見出す、その揺らぎの軌跡である。見ることは共感や連帯を育むと同時に、偏見や距離をも再生産する危うさを孕む。私たちはその危うさを引き受け、視線の権力構造を組み替え、女性が自らの眼差しで描く女性像を、今、ここに提示する。

 

『観の輪郭 ― The Self and the Other』展では、会期中に2回のトークイベントを開催します。9月12日(金)は O JUN 氏を迎え、絵画表現の歴史と世代的継承をめぐる対話を、9月20日(土)は Michael Schneider 氏と清水知子 氏を迎え、ジェンダーとフェミニズムの視点から芸術と社会を考察します。

 

【トークイベント詳細】

*申込制(中途参加不可)

①9月12日(金)14:00~

ゲスト:O JUN

 

②9月20日(土)14:00~

ゲスト:Michael Schneider

参加お申し込みはこちら

 

MEDEL GALLERY SHU is pleased to present the group exhibition Contours of Perception — The Self and the Other, featuring works by Eri Uemura, Lea Embeli, Aya Kurashiki, and Long YuJun, on view from September 12 to 24, 2025.

The exhibition’s theme may seem to revisit fixed ideas of gender, yet it ultimately challenges our very responses to visual art itself.

Beginning with the act of “seeing,” the artists’ works emerge from perspectives shaped by their own experiences, such as:

  • The diversity of intimacy

  • AI technologies

  • The representation of women in Eastern and Western painting

  • Women’s hair

Through these lenses, the works invite viewers to pause and reconsider preconceptions of femininity. Female figures—long framed predominantly through male perspectives in art history—are here reimagined through the gaze of women themselves, offering sharp insights that guide us to look beyond gender and perceive the individual.

We invite you to experience this shifting, fluid time by embracing gender not as a fixed attribute, but as a compass that orients perception.

To look is not merely to register what falls upon the eye. It is a deep act of building a bridge between the world and oneself—gently tracing its borders, and at times dissolving those contours altogether. We look at ourselves. We look at others. We look at systems and history. And always, these visions take shape through the filters of our memories, beliefs, and bodily sensations.

This exhibition is an attempt to return to the source of that looking.
Here, “looking” refers to an experience that precedes language—movements of perception that arise beyond existing power structures or value systems. From there, new standpoints sprout, crystallizing into ideas and relationships.

The four participating artists each depart from a different mode of looking:
Long Yujun unsettles the relationship between “seeing” and “being seen” through the exchange of gazes and breath with her models, tracing diverse forms of intimacy.
Lea Embeli intersects AI technology with the history of the female image in art, exposing norms and biases while reconfiguring representation itself.
Ayano Kurashiki explores the distance between isolated bodies and others, seeking forms of connection that transcend separation through rituals and acts of care.
Eri Kamimura returns to the sources of language, emotion, and instinctive impulse, offering dialogue with the self as a foundation for building relations with the outside world.

What is depicted here is the image of women, as rendered by women artists.
Throughout art history, most images of women have been created through the male gaze, positioning women as the observed rather than the observer, and stripping them of their own voice.
Here, gender is not a fixed attribute, but a breath that shifts the vantage point—crossing and recrossing boundaries, serving as a compass to seek truth amid ambiguity and overlap.

The contour of looking is the trace of a tremor: finding oneself in the other, and finding the other’s shadow within oneself.
Looking carries both the power to cultivate empathy and solidarity, and the risk of reproducing prejudice and distance.
    We choose to face that risk, to reconfigure the power structures embedded in vision, and to present here—now—images of women as drawn through the gaze of women themselves.

野澤梓 Nozawa Azusa Profile

上村江里 | Eri Uemura

人間が本来《生物》として持っている『野生』『直感』『衝動』をテーマにした作品を制作。
野生と教育のバランス、自身と外部との共存、生と死など対比されるものの間で揺れ動く感情や体験、コミュニケーションが作品の基盤となっている。

外部でのコミュニケーションの根本は自己との関係性という観点から、自身との対話をモチーフにした「Talk with One’s self」シリーズや、骨を過去の象徴として登場させ【〝過去〟の断片の中から必要なものを〝今〟選び〝未来〟を作る】というテーマを持つ「Picking up My Bones(自分の骨を拾う)」シリーズ等を発表している。

Profile | プロフィール

1986年  広島県生まれ
2010年  尾道市立大学 芸術文化学部 油画 卒業
2010-11年  渡英 ロンドン滞在
2014年  東京藝術大学 美術研究科 絵画専攻 油画第一研究室 修了

主な展示:

2012     グループ展『大学絵画』アキバタマビ213331gallery、東京
グループ展『上村江里・宇都宮恵・升谷真木子のアトリエ』東京藝術大学 大学館、東京

2013     個展 『Life DrawingOuchi galleryNY

2014     『第62回東京藝術大学卒業・修了作品展』東京藝術大学、東京
art award tokyo marunouchi 2014』参加、行幸地下ギャラリー、東京
個展『KissJIKKA、東京
グループ展『三越×東京藝術大学 夏の芸術祭2014 次世代を担う若手作品展』日本橋三越本店、東京

『シブカル祭。2014』参加、パルコミュージアム、渋谷PARCO、東京『TOKYO DESIGNERS WEEKSHOP ART WALK』参加、Pretty Ballerinas AOYAMA、東京

2015年  個展『ERI UEMURAeatable 、東京

グループ展『In Focus6 – 卒業生の現在』MOU尾道市立大学美術館、広島

2016年  『シブカル祭。2016』参加、渋谷、東京

2018年  zine fair 参加、湿地venue、台北

2023年  グループ展『ART KAMIYAMA』麻生邸、東京

2025年  個展『Picking up My BonesGARDE gallery、東京

『La Pensee Sauvage 』について 

 2017年から制作を始めたシリーズで、髪を自分で切る女の子がモデルになっている。

髪は古くから、想いや自分の一部が宿るものとされてきた。

同時に顔の輪郭を形作るものであり、時に〝女性らしさ〟の対象であり、髪の長さやスタイルは外見の印象に大きく関わる。自身で髪を切ることは全体像が見えず難しいが、それでもモチーフの女の子は自分で自分の髪を切る。

古いものを捨て、林を抜けて、新しい大地に出たいのだ。

2022年にイランの女性が髪を覆うスカーフのヒシャブを付けていない事で逮捕され、それから間もなくこの世を去る事件があった。

憤りを感じた世界各国の女性達は「彼女のために」「自由のために」と言いながら、自らの髪を切る動画を投稿し、抗議の意思を示した。髪を自由に選択できることは女性にとって、社会的抑圧からの解放の象徴となっている。

シリーズのタイトルはクロード・レヴィ=ストロース (Claude Lévi-Strauss)の著書「野生の思考」からきている。

表紙にはスミレの野生種であるビオラ(3色スミレ)が描かれている。

私たちは知らず知らず社会環境や人間関係から『一般的な思想、意見、概念』を教えられてきた。それをそのまま受け入れた場合、それは本当に〝あなたの思考〟と言えるのだろうか?

それに準え、人間の野生種の女の子をモチーフにしている。

野澤梓 Nozawa Azusa Profile

レア・エンベリ | Lea Embeli

私の作品は、女性の身体、人工知能、そして芸術における歴史的表現との複雑な関係を探求するものである。AIの画像生成技術を用いることで、古典絵画における伝統的な女性の描写がどのように変容し、認識できないほど歪められ、意図的に認識の境界を押し広げることができるかを調査する。

出来上がったイメージは意図的に素朴で不穏なものとなり、従来の美とアイデンティティの概念に挑戦する。この方法により、歴史的な女性の芸術的表象やAI技術そのものに埋め込まれた偶発的な象徴性や内在する偏見と向き合うことができる。各々の歪んだ姿は暗号となり、美術史から現代に至るまでの女性の姿にまつわる規範や期待に疑問を投げかけ、鑑賞者を誘う。

 

If we can imagine new ways of seeing the body,
can we return Venus to her hot, fiery glory?
Venus is the hottest planet
レア・エンベリ

 

Profile | プロフィール

1994年 セルビアのパンチェヴォ生まれ。

2016年 「Zavod」や「Kreativni centar」、フランスの出版社「Fleurus」などで本の挿絵を手がける。また、セルビアのToBlink StudiosやポーランドのAnimoon Studiosなどのスタジオでキャラクターデザイナーやコンセプトアーティストとしてアニメーションの仕事にも携わる

2017年 藝術大学応用芸術学部応用絵画学科を卒業

2018年 同じ大学修士課程を修了。

 

教育・科学・技術開発省とセルビアの若い才能のための財団より奨学金を授与される。学業成績優秀者に贈られる アレクサンダル・トマシェヴィッチ賞、応用絵画分野の ULUPUDS賞、若手アーティストに贈られるヴチュコヴィッチ賞を受賞。

 

2019年〜2020年 ベオグラードの応用芸術学部で絵画技法のティーチングアシスタントを務めた
2021年 文部科学省の奨学金(MEXT)を受けて東京藝術大学油画研究科に留学した

2023年4月 東京藝術大学 美術研究科 絵画専攻 油画第六研究室 修士課程に進学

2025年3月 東京藝術大学 美術研究科 絵画専攻 油画第六研究室 修士課程 修了

2025年3月〜 現在もセルビアと日本を拠点にアーティストとして活動を続けている。

 

主な展覧会:

“This changes everything”、ニシュ・アート・ファウンデーション、ニシュ、セルビア、2017年

“Festum”、学生文化センター、ベオグラード、セルビア、2018年

“Out of touch”個展、Ostavinska ギャラリー、ベオグラード、セルビア、 2019年

“私的価値” スイスレジデンス、べオグラード、セルビア 、2020年

“芸術の秋ビエンナーレソンボル(セルビア) 、2020 年

“どう思う?” 個展、X Vitaminギャラリー、ベオグラード、セルビア、 2020年

“第 51 回芸 術サロン”国立美術館(パンチェヴォ、セルビア) 、2021年

“どこにいても、そこが家”,  JR 上野ギャラリー・ (東京) 、2023年

“未来展”, 日動画廊(東京) 、2023年

“Beauty of Big Format” Salon of the Belgrade Museum, Belgrade、2023年

“Watowa Art Award”, Watowa ギャラリー、東京・2023 年

“Shibuya Awards” Hillside Terrace、東京・2024年

“Grid Next” biscuit gallery、東京・2024年

“Sorry, this is (not) for you” Atami Art Grant、熱海・2024年

“bridge” biscuit gallery×NISO (ロンドン) コラボレーション展、東京・2025年

“ピテカントロプス” 三越コンテンポラリーギャラリー、東京・2025年

私は最近、特に最も古い粘土製の姿で表現されたヴィーナスの様々な形態に魅了されている。これらの先史時代の表現は、大胆な曲線と多様で表現豊かな形態言語を持ち、発見し分析する喜びをもたらした。ホモ・サピエンスが初めて創造を始めたとき、女性の姿を彫刻した。そして人間の性(さが)として、その姿は絶えず進化し、完成され、再形成され、何度も再解釈されてきた。

やがてその姿は現在の私たちの時代に至り、必然的にAIの領域へと入っていきた。
私は、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』をはじめとした美術史的資料や現代のポップカルチャーから様々なヴィーナスの姿を探求した。その過程で、心に残る一例に出会った。私は双子の誕生を発表したビヨンセの写真をAI画像生成モデルにアップロードした。現代のヴィーナスを表すはずのその画像は、単に元の写真の色褪せたバージョンになるだけでなく、画像生成モデルに根付く偏見を露わにした。
元の画像は、母性の象徴性と文化的特異性に満ちていた、しかし、それは平坦化された。被写体はより淡くなり、無菌的で非現実的な光を放っている。体は左右対称に整えられ、エアブラシで加工されたような形に変わり、子どもたちは完全に消えてしまった。そこに残るのは母性のイメージではなく、一般化された美と魅力の期待に応えるためのスタイライズされた姿である。
一方で、非人間的な人工の代理像は、現実の身体が理想化の重圧から逃れられるという意味で一種の救済をもたらすかもしれない。代理像は、他者の客体化する視線を吸収するスポンジのように機能する。
しかし他方で、それは長きにわたり続いてきた表象と消去の問題を強化し、ほとんど変わることのないままである。かつて崇拝された、曲線美にあふれる女神であり母なる者は、達成不可能な理想の空洞のコラージュへと還元されてしまいた。
それでも私は問わずにはいられない。自分自身のために、この代理像を創ることはできるだろうか?
ひび割れ、不均一、多腕のヒドラ。グロテスクと美の境界で踊る者である。
もしこの欠点のある身体が美しさを纏うことができるなら、自由は完璧さに縛られないのかもしれない。
もし私たちが身体を見る新しい方法を想像できるなら、ヴィーナスをその熱く、燃え盛る栄光に取り戻すことはできるだろうか?

野澤梓 Nozawa Azusa Profile

倉敷安耶 |Aya Kurashiki

一貫して、肉体という個別の物質、あるいは付属するカテゴライズによって絶対に断絶された孤独な存在のひとつであるという自覚を持ち、他者との距離について制作を行ってきた。自己と他者との関係には様々な軋轢が生じ、孤独な課題を抱えている。  作品はそれ自身が私にとっての信仰であり、断絶されたこの身で他者と関係性を紡ぐ架け橋で、あるいはときに軋轢によって生じた傷を手当てし生き抜くためのケアである。宗教・ジェンダー・死・身体等の巨視的な領域から、職業・家族等に至る身近な領域まで、そこに伴う共同体と、生き抜くため行為であるケアをモチーフにし、転写技法を用いた平面作品を主軸にした他、共食をテーマとした儀式的なインスタレーションやパフォーマンスなどを用いる。

仏教画の九相図、そのモデルに引用された小野小町、さらには説話と化しイメージが一人歩きしたことによって個人の人格を無視し、押し付けられた罪を背負った点が小町と共通するマグダラのマリアをモチーフとした《九相図》や《互いのための香油塗り》、名画等の女性の身体にアダルト画像をコラージュした《Transition》、箱形の支持体を持つ作品を墓や骨壷に例えた《Grave》《Bury》、祭壇のような食卓のインスタレーション《わたしたちは家族》《口腔間距離》、儀式的な飲食を伴うパフォーマンスやWS《晩餐会》《秩序を保つ》など。

Profile | プロフィール

1993年 兵庫県生まれ。茨城県在住。現在は東京と関西を拠点に活動。

 

学歴

2016 京都造形芸術大学 美術工芸学科 油画コース 卒業

2018 京都造形芸術大学 大学院修士課程 芸術研究科 ペインティング領域 油画専政(大庭大介ゼミ) 修了

2020 東京藝術大学 大学院修士課程 美術研究科 絵画専攻 油画第一研究室(小林正人研究室) 修了

 

賞、助成等

2016年度–2017年度 公益財団法人佐藤国際文化育英財団 第26期奨学生  

2017 浅田彰賞「SPART 2017」

2019年度 公益財団法人クマ財団 第3期奨学生

2020 入選「シェル美術賞2020」

2021 公益財団法人クマ財団 継続的な活動支援事業

2021 アソシエイツアーティスト「VIVA AWARD」

2021 グランプリ受賞「WATOWA ART AWARD」

2022 公益財団法人クマ財団 継続的な活動支援事業

2024 秋元雄史賞「KAIKA TOKYO AWARD」

2025 入選「群馬青年ビエンナーレ」

 

個展

2025 「ショーケース SHOWCASE UENO #15. 倉敷安耶」東京藝術大学(東京)

    「おまえの骨が軋むとき」ARTDYNE(東京)

2024 「ショーケース SHOWCASE directed by Ozawa Tsuyosh #43. 倉敷安耶」藝大食堂(茨城)

    「Breast」KUMA GALLERY(東京)

2023 「百夜」SOM GALLERY(東京)

    「あなたの髪のひとつ(だった)」haku(京都)

    「腐敗した肉、その下の頭蓋骨をなぞる。」銀座蔦屋書店アートウォールギャラリー(東京)

2022 「浅はかなリ、リアルの中でしぜんにかえる。」和田画廊(東京)

    「-OUR ART PROJECT- EXHIBITION」BPM(東京)

2021 「そこに詩はない。それは詩ではない。」myheirloom(東京)

    「BnA_WALL 3rd Mural A~ya Kurashiki Solo exhibition」BnA_WALL Art Hotel in Tokyo (東京)

    「GRAVE」TSUKURU WORK 新宿センタービル店(東京)

2016 「Shadow of 0.2 Lux.」(Cafe&Gallery etw / 京都)

 

グループ展

2025 「群馬青年ビエンナーレ2025」群馬県立近代美術館(群馬)

    「Intersection」HWA’S GALLERY(上海)

    「WHAT A PAINTING WANTS」BONDEDGALLERY(東京)

2024 「Beautiful Foolishness~遊びをせんとや生まれけむ」藝大アートプラザ(東京)

   「PHASE TRANSFER」Alpha Contemporary(東京)

   「REUNION」myheirloom(東京)

   「NEWoMan YOKOHAMA × The Chain Museum Vol.10 2F Wall Street Museum「Dancing in the Boundary」 -境界の中で踊る-」NEWoMan横浜(神奈川)

   「東 京都 展 The Echoes of East Kyoto」WHAT CAFE(東京)

   「nine colors XVIII」西武渋谷美術画廊(東京)

   「KAIKA TOKYO AWARD」KAIKA Tokyo by THE SHARE HOTELS(東京)

   「GROUP SHOW」三越コンテンポラリーギャラリー(東京)

   「Expression vol.3」長亭GALLERY(東京)

    「DISTANCE -絵画との距離-」MU GALLERY(東京)

2023 「Espace Virtuel」YOD TOKYO(東京)

    「ニューミューテーション#5 倉敷安耶・西村涼「もののうつり」」京都芸術センター(京都)

   「etoototo」+ ART GALLERY(東京)

    「鋳物のマブ」CLUB王族(神奈川)

2022 「The ghost in the room」TENSHADAI(京都)

    「Idemitsu Art Award(旧シェル賞)アーティスト・セレクション」国立新美術館(東京)

    「SHIBUYA STYLE vol.16」西武渋谷(東京)

    「Conversation」HAKU(京都)

    「nine colors」西武渋谷(東京)

    「エピソードone 次世代アーティスト16人展Vol.1 」阪急うめだ本店9階 アートステージ(大阪)

    「(((((,」駒込倉庫(東京)

    「THE SELECTED」elephant STUDIO(東京)

2021 「WATOWA ART AWARD」elephant STUDIO(東京)

    「ブルーピリオド×ArtSticker」hotel koe(東京)

    「SHIBUYA STYLE vol.15」西武渋谷(東京)

    「From Intimate Path」Art 369 Space(栃木)

2020 「SHELL ART AWARD・シェル美術賞2020」国立新美術館(東京)

    「東京藝術大学大学院 修了展」東京藝術大学 (東京)

2019 「取手アートパスタ2019」東京藝術大学取手校地 (茨城)

    「サマータイム9192631770」東京藝術大学(東京)

    「outline」Maki Fine Arts(東京)

    「Tokyo Independent」東京藝術大学(東京)

2018 「取手アートパス2018」東京藝術大学取手校地(茨城)

    「視覚の再配置」SHIN美術館(韓国)

    「油画第一研究室展」東京藝術大学(東京)

    「京都造形芸術大学大学院 修了展」ギャルリ・オーブ(京都)

2017 「第26 回奨学生美術展」佐藤美術館(東京)

    「京都造形大学大学院 芸術研究芸術専政 修士2 年生作品展 SPART2017」ギャルリ・オーブ(京都)

2016 「京都造形大学大学院 芸術研究芸術専政修士1年生作品展 HOP2016」ギャルリ・オーブ(京都)

    「movements 2016 2nd movement GOKAN」ART ZONE (京都)

    「弘益大学70 周年記念交流展」Hongik Museum of Art(韓国) 

    「京都造形卒業展覧会2015」京都造形芸術大学 (京都)

2015 「the painting vol.13  the hole.」京都造形芸術大学(京都)

    「あさぼらけ」MEDIA SHOP gallery(京都)

    「Body・Head・Mind」Gallery CUBE(大阪)

2014 「スウィートヒアアフター “本屋と芸大生”」書肆スウィートヒアアフター(神戸)

    「油画の学生どう思う?」京都造形芸術大学(京都)

2013 「UN LOCKS」京都造形芸術大学(京都)

    「SINGS」3F Project Room(京都)

 

アートフェア

2024 「ART FAIR ASIA FUKUOKA」福岡国際センター(福岡)

    「HANKYU ART FAIR」阪急梅田ホール(大阪)

    「Art Fair Philippines 」The Link, Ayala Center(フィリピン)

    ​​「Xavier Art Fest」 Fr. Rafael Cortina S.J. Sports Center, Xavier School(マニラ, フィリピン)

2023​​ 「ART MARKET TENNOZ」WHAT CAFE(東京)

    「3331 Galleries ART SHOW」-「3331によって、アートは『』に変化した」3331アーツ千代田(東京)

2022 「GINZA COLLECTOR’S CLUB」銀座蔦屋書店アトリウム(東京)

    「ART STAGE OSAKA」堂島リバーフォーラム(大阪)

    「ARTISTS’ FAIR KYOTO」京都新聞社(京都)

 

プロジェクト

2022 「藝食人」 HOUSE SHINE(東京)

2021 「Intimate Path」art369project(栃木)

 

レジデンス

2021 「MURAL」paradise air(千葉)

 

ワークショップ

2024 「秩序を保つ ─ 熱、冷たい火」東京藝術大学取手キャンパス藝大食堂(茨城)

2023 「秩序を保つ」京都芸術センター(京都)

罪深い女は食事の席についたイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を自身の髪の毛でぬぐい、そこに接吻して香油を塗った。香油は、遊女が商売で使用する物である。あるいは罪の女と同一視されているベタニアのマリアはイエスの頭に香油を注いだ。これらはイエスがメシアとして祝福されること、そして埋葬の文脈において香油が「腐臭」と名付けたものを予告、つまりは近く来たるべき死を暗示している。ベタニアのマリア同様、罪深い女と同一視されているマグダラのマリアは復活の日の朝、イエスの喪葬の目的で香油を用意して墓に行った。彼女はイエスの死後に迫害され、その余生を隠者として洞窟の中の教会にて過ごした。罪と死を象徴するマグダラのマリアらを主題とした宗教画ではアトリビュートとして頭蓋骨が度々描かれる。

主題となった九相図は死体の不浄を論じるだけでなく、無常観を訴えかけてくる。特に若さや美しさの無常を表出することに重きがおかれている。伝統的に、日本の九相図には女性の死体が描かれてきた。観想の主体は全て男性で、女性の死体は一方的な眼差しの対象とされ、女性のあられもない死に様を眺めることのできるポルノグラフイックな絵画でもある。一方で死体を曝すことが、女性にとって信仰心の表明であるとみなされる土壌もあった。近世初頭には、絵解きなどを通じて、九相図が直接的に女性教化の役割を担うこととなる。九相観説話の中の女性たちは、自らの強い意志と自己犠牲の精神によって不浄の肉体を曝し、他者の発心を助けた者として尊ばれてもいる。

中世には、九相図に小野小町伝説が合流した。美貌を誇った小野小町が驕慢の果てに零落し、京都の寺院へ行きつき、死後には葬る者もなく死体は腐敗する。やがて野晒しの髑髏となり、目の穴に薄が突き刺さって痛い痛いと唄ったとのことである。だが本当は彼女の死に場所さえもわかってはいない。

宗教は魂の救済のためではなく、共同体の保全と繁栄のために存在している。聖なるものとは共同体が崇拝するものである。不浄とはある体系を維持する為にそこに包含してはならないものであり、穢れとは体系的秩序との関連においてしか生じ得ない。「内」と「外」、及び、その境界線の象徴性はカテゴリーを通して行われるのであり、認知的である。だが境界からはみ出す異例なるもの、あるいは境界上にある曖昧なるものとの接触は自己と物質の属性と、自己と他者との相互関係について学ばせてくれる。身体によって表せる象徴体系は一層直接的であり、肉体の境界はあらゆる境界を象徴しうる。今回展示するのは、共同体内での「眼差し」を振り返る⽬的として東洋/西洋絵画内における⼥性像に焦点を当てた作品群である。

野澤梓 Nozawa Azusa Profile

龍羽均| Long YuJun

これまで美術史において描かれてきた「女性像」の多くは、男性アーティストによって形づくられ、男性の視線や感性を通して表現されてきた。その眼差しは、裸体や官能、母性、沈黙といった記号をまといながらも、時に深い人間性や情感を映し出してきた。一方で、女性自身が女性を描くとき、そこにはまた別の感受性や視座が加わる。 私は、自らが女性であると同時に、時に男性的な視点も引き受けながら制作を行う。

つまり、描く行為のなかで「男性的な眼差し」と「女性的な眼差し」の両方を行き来し、重なりや差異を探ることになる。その往復運動は、主客の境界を揺らし、感情と身体が交錯する瞬間を浮かび上がらせる試みでもある。絵画というメディウムを通して、私たちは他者とどこまで触れ合えるのか。あるいは、触れようとするその行為そのものが、すでに関係をつくり出しているのではないか。 作品に登場する彼女たちは、私が日々の生活のなかで出会い、深く関わった女性たちである。その関係性は必ずしも恋愛感情を含むものではなく、不確かで、言葉にできない、あるいはあえて語られない感情も内包している。描くことは、そうした複雑で揺らぎをもった感情や関係性を、対話や共鳴を通して可視化していく営みである。

「見られる存在」としての女性像だけではなく、「見る者」「語る主体」としての私たちを提示すること。そして異なる視点が交差する場から生まれる、新たなまなざしを示すこと――それが、私の制作の根底にある願いである。

Profile | プロフィール

1998年 中国重慶市 出身

2016~2020年 武漢設計工程学院 藝術設計学院 プロダクトデザイン専攻 卒業 学士(中国・武漢)

2021~2023年 武蔵野美術大学 造形学部 油絵専攻 卒業 学士(日本)

2023~2025年 東京藝術大学 美術研究科 絵画専攻 油画第一研究室 修了 修士(日本)

 

個展:

2022年 「他者」長亭GALLERY(東京・日本橋)

2024年 「姉」長亭GALLERY(東京・日本橋)

2024年 「Ethereal Bonds」Gallery美の舎(東京・台東区)

 

公募展:

2023年 「NATURE」Gallery美の舎(東京・台東区)

2023年 「CHANGTING GALLERY EXHIBITION 2023」長亭GALLERY(東京・日本橋)

 

グループ展:

2023年 第47回 東京五美術大学連合卒業・修了制作展(国立新美術館・東京)

2023年 「Me Too」 Irregular Rhythm Asylum(東京・新宿)

2023年 取手藝祭2023「野生の都会人」(東京藝術大学・取手キャンパス)

2024年 「CHANGTING GALLERY PRIZE 2024」長亭GALLERY(東京・日本橋)

2024年 修士1・2年 油画第一研究室展示会『比喩馬』藝大食堂ギャラリー(茨城県・東京藝術大学・取手キャンパス)

2024年 「油画第一研究室展」絵画棟1F Yuga Gallery(東京藝術大学・上野キャンパス)

2024年 TOKYO GEIDAI油画第一研究室講評展示会 GASBO ETABOLISM(東京藝術大学・取手キャンパス )

2025年 「OIL ART MARKET 2025」0IL by 美術手帖 銀座 蔦屋書店/六本木 蔦屋書店(東京・銀座/東京・六本木)

2025年 第73回 東京藝術大学 卒業・修了作品展(東京藝術大学・東京)

 

受賞歴:

2017年 「中南星」プロダクトデザインコンペティション賞 (中国・武漢、6省市共同開催)

2017年 中国・杭州でトッププロダクトデザイナーとのインターンシップ選出(中国・杭州)

2018年 デザインしたコーヒーマシンが中国・武漢のコーヒーマシン会社に量産化された(中国・武漢)

2019 年 「設カフェ工場」によって優秀なプロダクトデザイナー/デザイン旅路メンターとして認定(中国・杭州)

2020年 武漢設計工程学院 藝術設計学院 プロダクトデザイン専攻 優秀卒業設計賞 受賞(中国・武漢)

2020年 武漢設計工程学院 藝術設計学院 プロダクトデザイン専攻 優秀卒業生として表彰(中国・武漢)

2023 年 Gallery Binosha アートコンペ 奨励賞(東京・日本)

2023 年 CHANGTING GALLERY EXHIBITION 2023 優秀賞 / 薄久保香賞(東京・日本)

“Love is to truly see.”

 

長いあいだ、自分は「男性としての私」として女性を愛しているのだと思っていた。しかし、人生の中で深く影響を与えた一人の女性――私が「お姉さん」と呼ぶ人――との出会いによって、その考えは変わった。
 彼女は「あなたを愛しているのは、あなたが女性だからだ」と言い、私にも女性の視点で応えることを望んだ。単に男性の立場から愛するのではなく。若かった私はその言葉の意味を完全には理解していなかったが、彼女の静かな影響の中で、少しずつ自分が女性であることを受け入れ、むしろ愛おしく感じるようになった。

彼女に背中を押され、私はアートの道を歩み始めた。絵を描き、自分を探り、多様な人と出会い、また絵に戻り、再び自分を探す――そんな循環を繰り返すうちに、いつしか「フェミニスト」と呼ばれるようになっていた。だが、私の出発点は“主義”ではない。ただ、ほんの少しの公平さと、光の下で見える恋愛が欲しかっただけである。たとえば、「お姉さん」との愛も真実の愛だと知ってもらうことや、堂々と結婚できること。

いつからか、そうした願いに「フェミニズム」というラベルが貼られ、さらに一部の女性からは「あなたの視点にはまだ男性的な影がある」と疑われるようになった。おそらく彼女たちは、私を“平行線”ではなく“対立線”に置いているのだろう。
 それでも私は、ただ微笑むしかない。本当に女性の利益や公平を損なっている“対立面”こそ、力を注いで問いただせばよいのに。

ここまで書いてきたが、決して誰かを非難したいわけではない――むしろ正確に言えば、この無意味な対立を恐れることを、いつの間にか覚えてしまったということだろう。振り返れば、自らの歩みの中で「主義」「集団」「個人」「立場」「視点」「観点」「男と女」といった概念は、次第に輪郭を失い、曖昧になっていった。異なる文化的文脈における認識には、共通点もあれば、どうしても交わらない相違もある。人は誰しも自らの立場から発言し、行動するにすぎない。波長が合えば、自然と寄り集まり、ひとつの集団となり、ときに暗黙のうちに異なる立場の者を遠ざける。波長がずれれば、静かに「ここまでだね」と別れを告げる。

しかし、このように偶然の同調と根源的欲望によって形づくられた集団は、しばしばより高次の願景――人類に共通する、あたたかく美しい生活の理想――を覆い隠してしまう。それは本来、遠くに灯る光のように、より広く、より優しい方向へと進むための道標であるはずなのに、日々のせめぎ合いや小競り合いに遮られてしまう。気づけば残るのは、押し合い、競い合う光景ばかりで、その光は、いつの間にか私たちの背後に置き去りにされているのだ。

したがって、私がこの人生の段階で行っている創作は、一貫して「観る」という行為をめぐっている――すなわち、視点の出発位置や角度が、いかにして自己や他者の認識を形作るのかという問いである。
 ここでいう「観る」とは、表層的な関わり――彼があなたに同行を求めること、あなたを傷つけること、あなたから距離を置くこと、あなたを恐れること――に留まるものではない。それらの現象を突き抜け、その奥にある本当の「彼」に触れることだ。そこには、彼の欲求、防衛、悔しさ、痛み、影、そして地色がある。

皮肉なことに、言語や情報が高度に発達した現代において、人間はむしろ深い対話を避け、暗黙のうちに互いから遠ざかり、誤解や憶測に陥り、その中で偏見を固定化していく。だからこそ、「観る」という行為は、いまや極めて強い力を持つ。これは他者への注視や理解であると同時に、自分自身への凝視と省察でもある。

真の「観る」とは、相手の存在の中に自分を映し、自らの脆さの中に他者の柔らかさを見出すことにほかならない。それは、先入観を手放し、耳を澄まし、細部に心を配り、視線の届くところにある互いの真実と複雑さを認めることを要求する。
 ゆえに、私が伝えたい核心は、たったひとつの言葉に集約される――愛とは、すなわち「観る」ことだ。